北九州門司区ミイラ死。弱者は早く死ぬのみか?

 2006年7月17日朝刊の3面記事。北九州市門司区の市営団地で5月に独り暮らしの身体障害者の男性(当時56)がミイラ化した遺体で見つかった事例について報道している。
 いきさつは、昨年9月の時点で家賃滞納が続いていたため、市住宅供給公社の職員が9月18日に訪問した。男性はその時、床をはって出てきたという。その時点で既に電気、水道、ガスが止められていた。住宅公社職員は市水道局に「男性が衰弱し、脱水状態にある」と連絡した。
 市水道局は男性の状況を区役所に連絡したが、水道は止めたまま。男性は公園で水を汲んでいたらしい。
 区役所はその日のうちに、ケースワーカーと保健士を男性宅に派遣。男性は生活保護を申請したいと伝えたが、区役所は即座に保護を開始できる「職権保護」を適用せず、市内に住む次男からの食料の差し入れがあるので「生死にかかわる状況ではない」と判断した。
 実際にはコンビニエンスストアで働く次男が数日に1回、食パンやおにぎりを持ってくる程度だったらしい。男性は妻と離婚しており、息子たちとの関係も複雑だったとの事。
 男性は12月6日に区役所を訪問し、「次男からの援助も途切れる。体も弱っているので保護をお願いしたい。」と生活保護を願い出ている。しかし、保護課は長男が7,8月分の家賃を支払ったことを理由に、長男と話し合うことを求めて帰宅させた。男性は司法解剖の結果、この後、1月下旬に死亡したらしい。そして5月23日に布団の中でミイラ化した状態で見つかった。
 これに対し、市保健福祉局は適切な対応だったと言っている。

 弱い者がどんどん死ぬのは、生物として当然である。島根の山にある私の先祖の墓を見ると2〜3歳でバタバタ死んでいる。美智子様が出産の時、昭和30年代の出産時の赤ちゃんの死亡率は約10%だったらしい。また、現在でもアフリカを始とする後進国では毎日エイズや病気、飢えでどんどん人は死んでいる。

 一応、文明国の日本では生活保護という人間が文化的で最低限度の生活を行う権利が与えられている。しかし、この権利を悪用する者も多い。これも以前、新聞に載っていたのだが、旧産炭地では体力もある大人が生活保護を貰いながら毎日パチンコ通い。その子供たちは大人が仕事をしなければならないという感覚が育っていない。大人になっても生活保護を貰いながら遊んで暮らすのが普通の生活であると子供たちは思っているらしい。亡くなった父が言っていたが、他人名義で車を購入している生活保護者もいたようだ。

 生活保護の支給金は少ないようであるが、それでも我々貧乏サラリーマン10人分の納税額で賄えないだろう。国民年金だけで生活しているものの意見として、生活保護の支給額の方が多いのは一帯どういうことだ!との意見がある。まともに自力で生きていこうとする人間よりも生活保護に頼った人間のほうが良い生活。何か、おかしくないか。

 市保護課の課長は「息子さんがいるからといって、扶養義務を押しつけるような機械的な対応はしていない。」と言っている。それは違うでしょう。安易に税金を使ったら駄目でしょう。基本は徹底的に息子に扶養義務を押し付けるべきでしょう。

 この世の中は、基本的に自分で飯食っていかなければならないのです。年取って飯が食えないなら、子供が親の面倒を見るのが当然でしょう。アメリカの押し付け憲法で旧来の家の考え方が否定され、個人主義が蔓延る世の中になったが、やはり日本は家として支えあう世の中にしないといけない。安易に行政に頼る権利意識ばかり蔓延ると確実に日本は滅びる。既に日本の経済は破綻しているのにこれ以上、生活保護等行政にぶら下がる人間が増えてどうなる。

 今回の事例の場合、多分、息子達は30歳前後だろう。積極的に父親を支援していた訳ではないが、支援しようとはしていた。充分に支援できない程、衰退した労働者階級。これが、今回の最大の問題点ではないだろうか。30歳前後でもコンビニでしか働けない現状。ニートとかフリーターとか言って若者の意識の低下がこのような世相を生み出したかのように言う向きがあるが、それは逆であろう。韓国、中国、東南アジアの新興国の安物製品に対抗するために労働者の低賃金化と流動化を促進して企業は生き残った。労働者の流動化の促進とは、いつでも首を切れるように正社員化しないことである。

 こう見てくると今回のミイラ化死亡の主原因は、北九州市が見捨てたというよりも、親の面倒も充分に見れないほど疲弊した労働者の存在にあると考える。要するに負け組み労働者は、自分自身に何かあった場合には死ぬより他に仕様が無いし、親も見殺しにするしかないということである。

 日本の政治家は長期的展望に立った施策を行う能力が無い。その為に現在の赤字大国日本が出来上がった。次の日本の問題は、国民年金の破綻であろう。国民年金の納付率はどんどん落ちている。その原因の一つは、国民年金制度に対する国民の信頼感の喪失であり、もう一つはその日の生活が苦しいが為に国民年金まで手が回らない疲弊した労働者の存在であろう。別のところでも書いたが、これら国民年金に入っていない労働者は将来確実に生活保護の申請者となると予想されている。その数、150万人だったか?と予想されているが、そんな数では済まないだろう。

 確実に訪れるこの問題に政治家どもは全く本質的な手を打とうとしない。弱者は世の中に迷惑を掛けない様に早く死ぬべし! これが行政の解答だろうか。どうですか、小泉さん。

2006年7月17日記

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